「やってみたいこと」と「やりたいこと」の違いは、、?

今日も、朝バイトが終わって、駅前のドトールに入ったのが午前10時でした。

 

いつものように、アイスコーヒーを頼んで、

頬杖をついて、玉手箱というwebテストの対策問題集を開く。

 

まるでやる気にならない。

 

いつかやっておいた方がいい気がするんだけど、所詮webテ対策なんて就活の手段でしかない訳で、就活に乗り気がしない私は、玉手箱の勉強には一向に身が入らない。

 

 

頬杖をついて考え事をした。

私の「やりたいこと」ってなんだろうか?

 

開きはじめた問題集を見ると、そんな問いばかりが浮かんでくるのです。

なんの制約もなく、私は全くの自由だとしたら、何がしたい?

 

 

リストアップしたのは、20個程度の項目。

 

例を挙げればこんな感じ↓

 

・麻雀か競馬で稼ぎながら日本一周

・パリに住む(3ヶ月〜)

・アドベンチャーレースに参加

・10ヶ国語くらいを普通に話す

・四畳半暮らし

・戦場に行く

・オイミャコン(世界で一番寒いロシアの街)に行く

・ネットビジネスかFXで月収100万

 

「・・・」

だが、これだけやりたいことを列挙すれば楽しい気分になるかと思いきや、そんなこともないわけです。

 

なぜか?

それは、それらをやってみたところで、その先の未来が描けないから。

 

 

例えば、私には、一生に一度は「四畳半暮らし」をしたいという夢があります。

(好まざるとも四畳半暮らしを余儀なくされている人にはイラっとくるかもしれないが・・・)

だが、一生四畳半で暮らしたいと思っている訳ではなくて、あくまで「経験」として「やってみたい」だけなんだよな。。

その先に何が待っているかは、もちろんわからないわけで。

 

 

ただ、今まで大学院生になってまでモラトリアムしてきて思ったのは、「やってみたいこと」をたくさんやると見えてくる世界は変わるし、それらの経験によって価値観が形成されていくのだと思うけど、その経験自身によって自分が本当に充たされたりすることはないんだよなぁ。

 

一つのやってみたいことを終えた時、その最中はすごく楽しくても、飽きたりして終わった後には思うことがある。

 

「そうか、こんなもんか〜

さて、次は何しようか」

 

まぁ、私はこんな調子で生きてきました。

人には到底褒められないようなことも、ただやってみたいと思い、飛び込んでは卒業するということを繰り返していました。

 

だけど、そんな「やってみたいこと」を渡り歩いたところで、自分自身が本当にゴールに近づいているのか、わからなくなってきたんです。

 

もっと、自分自身を賭けて挑む何か、プライドを持って取り組むことができる何か、それを通して自分自身が成長したい、自分の価値を上げていきたい、って思うものなのではないでしょうか、人間は。

それが仕事なのかな、、?と思ったりしました。

(もしくは、自分が仕事というものを美化したり過剰に期待してしまっているのかもしれません)

 

まとめると、

「やってみたいこと」と「やりたいこと」の違いは、その先に明確な夢・目標があるかどうかの違いなのではないか。

と思ったのでした。

 

喫茶店で数時間ボケーと考えて出た今日の結論です。