今日も私は東西線に揺られて

今朝も、駅の警備のバイトが終わって帰宅しようと駅で電車を待っていたら、ちょうど隊長と駅で会って、一緒に帰ることになった。

 

仕事中も、「君は肌がツヤツヤしてるなぁ!若いねぇ。おじさんにも分けてくれ」

と普段は強面な隊長が顔をほころばせながらおっしゃっていた。

(もう私も24歳で、そんなこと言ってもらえることは少なくなるだろうから、ありがたくお褒めの言葉を受け取って、胸の内にしまっておいた。)

 

私はどうやら隊長に気に入られているらしい。

 

ちなみに、警備の現場において隊長から気に入られることはとても大事である。

彼が、隊員の評価をして、他の駅に飛ばしたり、残したりということをするわけだ。

 

隊長は、おそらく70は超えているであろう厳格なおじいさんだが、白髪の短髪がきれいで、ダンディである。

 

私の家庭の話など、普段しない話をしてから、

「ところで就活はどうだね?」と聞かれた。

「どうでしょうね。。はは」

みたいな適当な返答をした。

 

一応専攻は建築系なので、ゼネコンの現場監督を目指しているという話は前からしていたけど、3月に2社落ちてからというもの、意欲が削がれていた。

 

甘い考えだけど、就活なんて普通にやってれば普通に受かるものだと思っていた。

専攻と似た方向性の仕事を選べば、志望動機も書きやすいし、就活しやすいだろうと思って、近似解を弾き出しただけの話だ。

連絡がこなかった時は、正直ショックだった。

志望度の高い企業が不合格だったこと以上に、手持ちの駒が減ることに焦りを感じていた。その焦りが落ち着いた頃に思ったのだ。

「私はそこまでして建築の仕事がやりたかったのだろうか?」

そう考え始めると、別にやりたいことではなかったように思う。

結婚もしたい、出産もしたい、そうなると、(総合職で働くとしたら)それらを少なからずも犠牲にしてまで(例えば子供が小さい時に傍にいてあげられなくて)、それでもやり遂げたいと思う仕事ってなんだろうか?

そこから約2週間、頭の片隅から就活が消えることはなかったが、事実上、私の就活は膠着状態だった。

 

そして、今もだ。

行き交うスーツや制服の人々、ホームに滑り込んでは去っていく東西線を眺めて、堂々巡りな考えが私の頭を占拠していた。

 

人の生き方が、本当の意味で「自由だ」というならば、働きたくない。

働かないで、お金が勝手に入ってきてくれればいい。

 

早く結婚して子供が欲しい。

だけど、今の彼は、私の結婚相手として適当だろうか?

かと言って、他の男を物色する気にもなれない。

 

それらが現実的なビジョンでないことは自分でもよくわかっていた。

そんなふうに考えても、自由になった気があまりしないのだ。

自由だといっても、自分が望んだ姿になれる選択肢なんて、そんなにたくさんは用意されていないのだから。

 

自分自身を賭けて仕事がしたい。

欲を言えば、給料なんて要らないからそれでもやりたいと思える仕事をしたい。

 

そんな仕事はあるだろうか?

「誰もが自分の望んだ人生を生きている」(森博嗣

「やりたいことがないっていうけど、あるはずです」(堀江貴文

「やりたいことがないなら、見つかるまで探せ。」(スティーブ・ジョブズ

 

自分の頭で考えてもわからなかった。

かといっても、就職課の人間に相談しても、安易な答えばかりが返ってくる。

結局、どう決めても結果は自分に返ってくる。

 

隊長との会話に戻ろう。

 

「隊長は、警備を始めるまでは何のお仕事をしていましたか?」

と、私は尋ねた。

 

少し考えて、隊長は

「社長」

と答えた。

 

前職では、冷凍食品の輸入をしている会社を経営していたのだという。

 

「カネのこととなるとね、めんどくさいことが多いんだよ。儲けるための算段を考えたりね。そう考えると、警備は楽だよ。ただ仕事をしていれば金になるからさ。

医者や、建築関係もそう。」

(私の父は勤務医で、私の専攻は建築である)

 

どっち側の人間になるべきだろうか?

いや、どちら側になりたいだろうか?

 

世の中で目立って自由に生きていたり、型破りな考えをしていたり、富を築いている人たちは、やはり経営者が多い。(ホリエモンとか、家入一真さんとか、高橋歩さんとか)

 

だけど、経営って、その内側は、結構ちまちましたことを考えたり、泥臭く進んでいかなくちゃいけなかったり、と大変でめんどくさいことが多い、ということを、大学院の専攻外の授業で経営を学んだりして思った。

 

楽して金稼ぎたいだけなら、経営は割に合わないと思う。

きっと、経営者は、やりたいという気持ちが何よりもエネルギーになるのではないのだろうか。

(私は、企業コンセプトを練る授業で、自分の提案した面白そうな企画が通ったにも関わらず途中でめんどくさくなってやる気を失った。)

 

どうやって収益を上げるかなんて、そんなことは考えたくない。

目の前の患者を助け、駅の安全を守り、建物を建てる方が、よっぽど好きだと私は思う。

 

だけど、そういう生き方って、結果大して儲からないし、結局社会や組織のコマの一つとしての生き方なんだよね。。

 

経営者は、ストレスフリーで自由に生きていてみんなが憧れるような生活をしているように見えるけど、それがみんなに向いている訳ではないんだよな(至極当たり前なんだけども)

 

どっちに走り出したらいいのかわからない。

動き出したくてムズムズしている。

 

「誰もが自分が望んだ通りの人生を生きている」

 

強く望みさえすれば、それは叶うかもしれない。

だが、その「強く望む何か」が、ない。

都合がいいのならそっち行くけど、都合が悪ければ、別にそっちでなくてもいい。

私にとって、ゼネコンの内定なんてそんな存在だったのが、見透かされたのだろう。

世の中には、私より、もっともっと心の底から現場監督がやりたい人がいるのだ。

 

決して、何もしたくない、家でゴロゴロして寝てたいとばかり思っているわけではない。ニートやるくらいなら、どこかの適当な企業にでも入った方がいい気もする。

だが、どこか適当な企業に入ったところで、つまらないので適当な理由でやめると、またそれはそれで「振り出しに戻る」気がする。

かといって、つまらない仕事をのんべんだらりと続けると、人生が腐りそうなので、それも地獄。ああ地獄。つまり、今、精一杯考えることが正解なのだ。

 

隊長とは、飯田橋で別れた。

対象はハローワークへ(今でも忙しいのに常に新天地を求めているらしい)、

私は図書館で勉強。

 

いや、勉強といいながらもこんな文章書いているんだけども。

今日はさすがに研究なり就活に少し着手しようと思います。